僕が東北大学を目指した理由

なんか「僕が弘前大学を選んだ理由」がわりと好評なの予想外だった
折角なので、前期に東北大学を目指した理由も話しておきます
こっちも日本海溝ほど深い理由があるんですよ…


前回のやつ 見てなくても今回の話はわかるから安心



1. 進路主任の言葉

高校2年の終わりぐらいに、進路主任に提出物を出しに行ったら突然「将来なにしたいのか?」と聞かれました
僕はアホなので「世界を変えたいです」と答えました
そしたら「なら東大や京大、最低でも東北大学を目指しなさい」と返されました
世界を変えるとかいうアホみたいなことに対してもちゃんと返してくれたことに感動しました
それにこの発言のおかげで、今まで進路についてのほほーんとした感じだった僕が本気で東北大学を目指したいと思うきっかけになりました

じゃあ今までは目指す気がなかったのかと言われると、なかったんですよねーこれが(クソ)
1年の頃からわりと成績が良かった(自慢)ので担任から「もっと上の大学を目指しなさい」と言われていたのですが、単純に面倒だと思ってたのでふーんくらいにしか思ってませんでした
好きなことしか勉強したくなかったから数学と理科ばっかり勉強して、国語や英語、地理はノー勉でテストに挑むという真性アホみたいなことしてました
当たり前のように定期テストで40点代取ってだけど、全然心が痛まないクソっぷり
そんな僕があの一言のおかげで、今まで全然勉強をしてこなかった文系科目にもようやく手をつけ始めたのです(感動)
1年でセンター試験が満足できる点まで伸びたのはこの言葉が原点だったのかもしれないですね
(証拠がないのであれだけど、2年冬のマーク模試で合計560点取って、しかも国語と英語が80点だったのは今でも覚えてる)

2. 担任からの期待

2年になってからクラスの担任が僕の苦手な英語を担当する先生になりました
しかも、頑張る人には応援するけど、頑張らない人には結構冷たい感じの人だったからかわりと嫌われてました
でも僕はそんなに嫌いになれなかったですね何故か
英語はクッソ苦手でひどい点ばっか取ってたのに何故か「やればできるのに」とか言われてました

そんなこんなで高校3年になって本気で目指すと決めた時、あまりの英語のできなさに絶望しました
なので担任に頼りました
わからないことがあったら即教えてもらいに行くレベルで頼りました
その甲斐あってか英語の点は右肩上がりに伸びていき、僕にとって自信になりました
センター試験の自己採点が終わって予想以上に点が取れててビビった時も、一緒に喜んでくれながらも「二次試験もがんばりなさい」と応援されて嬉しかったです

まあ結局落ちてしまったんですが、たまに高校に遊びに行った時とか、成人式の日に再開できた時は大学生活を話したり、一緒に写真を撮ってもらったりしました
論文読めないと僕が言えば「あれだけ頑張ったんだから大丈夫だよ」と励ましてくれて涙出ますね

3. 顧問の存在

僕のツイート見てる人はわかるかもしれないけど、部活に対しては負の感情しか抱いていません
今でも高校生活の汚点と考えるレベルであの部活動は嫌いです
じゃあなんで辞めなかったんだと言われれば、部長になってしまったというのもあるけれど、顧問の先生は好きだったからです
1年の頃の担任はなんと卓球部の顧問でしかも数学教師という僕にとって素晴らしい人でした
ちなみにこの人が1番最初に東北大学を目指しなさいって言ってきた人です
わからない問題をすぐに聞きに行ったり、難関大の問題の解答をチェックしてもらいにいったりと珍しく僕が信頼している人です

わりといい感じの理由ばっかだけど、世の中綺麗事だけでやっていけるものではないのです
部活が死ぬほど嫌いだったから部長になったけどろくに仕事をしてないし、卓球もモチベがクソもなかったから大会でもろくな結果を残せずに引退してしまいました
部活の方ではわりと迷惑をかけたし、全然結果を残せてないから、せめて進学実績のほうだけでも恩返ししたいという思いもありました実は
でも二次試験の時、数学で100点換算したときに27点しか取れてなくてごめんなさい

4. 平凡なクラスメート

ひどい小見出しですね
僕が通ってた高校は自称進学校だったので、半端な奴が多かったなと思います
だからみんなほど勉強してない僕に数学や理科で勝つことはほぼ無理だったんでしょうね(突然性格悪っ)
話してる内容も普通のことばっかりでつまらないなと思ってました
だから上の大学に行けば僕なんかよりもっと面白い考えを持った人に出会えるのではないかと信じていました

あと信じられないくらいのコミュ障なのでクラスに友達がほぼいませんでした

人と親しむと自分を表現するが0点…?

だから東北大学に受かればみんなが自分を見てくれるのではないかと勝手に思ってました
だが現実は甘くない

5. 信用してた先生が東北大学出身だった

進路主任の先生と顧問がなんと東北大学出身だったのです
2人を信用してた僕は、東北大学に対する憧れを持つことは想像に難くないですね
学生時代の話を聞いた感じもなかなか面白かったので僕もこんな大学生活を送ろうと目標にしてたわけです



こんなわけで僕は東北大学を目指してました
他にもお世話になった先生はたくさんいますが、その中でも特に印象に残ってるエピソードを書いてみました
今振り返ると、本気になるのがちょっと遅かったですね バカだなぁ
残念ながら落ちてしまいましたが、不合格を報告しに行った時も「後期試験に向けて頑張れ」と励ましてくれたのはとても嬉しかったです
弘前大学でも腐らずに頑張っていきたいですね
それでは





























なんて言えないですよなかなか
僕の高校の時の夢は「東北大学に受かって研究者として一線で働く」というものでしたが、前半部分が叶うことはもうありません
研究者として働くの方に関しては弘前大学でも努力次第で狙えるのですが、実験が失敗続きで果たして僕が研究者として働くに値する人間なのかと夜寝れなくなるレベルで考えてしまうのです
つまり、高校の時の夢はすでに叶わないまま終わるのではないかと不安に襲われているのです
マジで辛いね
(研究者として働くのに値するのかという悩みは仮に受かっていたとしても考えたんだろうけどね)

面白い人には出会えたかといえば、自分のような頭の狂った感じの人はあまり見ないなって気がします
それは僕が探す努力を怠っているからなのかもしれないですが…

高校の時にあれだけ応援してくれたのにその期待に応えられなかったのはとても悲しいですね
何のために苦手だった科目の勉強してたんでしょうね
その答えは未だにわかりません

研究室生活でストレスが溜まっているのか知らないけれど、最近こうした負の記憶ばかり蘇ってくるの勘弁してほしい
実験ではやく結果を出して、希望にあふれた大学生活を目指します
あと学歴ロンダリングをするつもりはないです
ほんとにそれでは
最近精神不安定でごめんね