僕が弘前大学を選んだ理由
僕はそもそも弘前大学が第一志望なわけではなく、いわゆる前期試験で落とされて後期試験で流れ着いた組です
じゃあ何故もう一年頑張って第一志望に再チャレンジしなかったのかといえば、そこにはアゾフ海ほど深い理由があった…
1.浪人したという肩書が嫌だった
端的に言ってしまえばそういうことです
第一志望にしてた大学は旧帝大とも言われるまあまあな難関大学で、もしもう一年頑張ってそこに入学できていれば学歴フィルターとは無縁で、周りの化け物たちを常に追い続ける大学生の鑑みたいな生活を送っていたことでしょう
それでも「学歴+質の高い環境」よりも、「現役で失敗して浪人した」という肩書を身につけてしまうのは僕のチンケなプライドが許さなかったのです
そんな情けないプライドのせいで人生を左右するのはどうなんですか?バカですね
僕と同じ大学目指してだけど、残念な結果に終わってしまった高校の同期はもう一年頑張っている人が多かったです
僕なんかより立派な人たちですね
2.センター試験をもう受けたくなかった
現役の時僕わりとセンターの点良かったんですよ
(自慢)
(もうたくさん見た?数少ない過去の栄光だから何度でも見せびらかしたいの、許して)
センター試験の点は717点で、前期試験の大学でも十分挑戦できるレベルだし、弘前大学に関していえば明らかにオーバーキルレベルですね
でもこの点数取るために高3の頃かなり辛い思いをしたんですよ(自分語りが始まる)
数学と理科はかなり得意で常に8割以上はキープできてたんですが、文系科目が壊滅的にできない(4割5割とかザラ)典型的な理系特化人間でした
「さすがにこのままではまずいよね」と学年主任に怒られたのもあって本腰入れて勉強を始めたけれど、興味ないことをずっとやり続けるのが苦痛でしょうがない!
(地理とかマジわからんし、漢文とか何あれ?)
時には勉強したのにひどい点取って心が折れかけたりしたけれど、それでも地道に勉強していって秋のセンターマーク模試では成長を感じられるレベルにまでは点を伸ばせました
11月の模試の結果
これのおかげで苦手科目にも自信がついてきた
ところが12月に古文のセンター演習で7点を取って、完全に心が折れました
その影響は他の科目にまで及ぶレベルで、得意科目ですら全然点が取れなくなるレベルでした
このスランプを脱するために今まで以上に苦手に向き合いました
(古文単語集毎日100単語覚えるをずっと繰り返すとか)
その甲斐あってか本番では過去最高の点を取ることができました(自分語り終わり)
結果的にあの挫折は僕を成長させてくれました
でもあんな挫折はもう二度と味わいたくないし、またセンター試験にチャレンジするためにこんな苦痛だった日々を再び繰り返すというのはもう嫌だったわけです
まあ悪く言えば苦痛から逃げたということです、はい。
3.親に負担をかけたくなかった
浪人するとなれば、予備校に通うことになると思います(宅浪はできる自信がない)
そうなると高い予備校代を支払う必要があり、家計に負担がかかってしまいます
そもそも真面目に予備校に通い続ける自信もないです
これ以上親に迷惑をかけてしまうのは嫌だったという僅かながらの親孝行したいという気持ちがあったのでそもそも浪人するという選択肢は無いようなものでした
(それでももし後期もダメだったら、頭下げてでも浪人させてくださいと頼んでたかもしれない)
4.青森を活性化させたい
すごく取ってつけたような理由ですね()
でもわりと僕が弘前大学でなんかすごい成果出して青森をもっと有名にしたいと思ってるんでよ実は(意外でしょ)
娯楽もないし、交通の便も悪いしでいいとこあんのかよって感じでも、やっぱ故郷が寂れていくのを見るのは悲しいですよ
地域学クソゼミじゃないけど、青森の活性化は県民にとっては大事なことだよ!
5.実家から近いから
高校1年の時は本気でこの理由だった()
クソですね
しかも新幹線使えば岩手大学の方が近いというガバ
だいたいこんな感じです(へー)
入学した当時はなんでこんなところにいるんだろうなって思ってたし、今でもたまにあの時問題文読み間違えてなければなぁとIf ルートを考えたりします
1〜19点足りなくて落ちるとか発狂するよ
実際した(東北大学行きたかったよ!!!!)
それでも住めば都とはいうもので、なんだかんだで弘前大学も気に入っています
弘前に来たおかげで今のつながりがありますしね
(東北大学受かってたら音ゲーやらないで麻雀サークル入る予定だった)
夢が叶わなかったのは本当に残念だけど、腐っていると良いことは何もないよマジで
(当時の僕に強く言いたい)
頑張っていれば誰かが応援してくれるよ!多分!